1分日記

フミコフミオが数分で書いた日記を1週間後にアップするブログです。午前8時更新。不定休。

決まるときはあっさり(2019年7月8日)

7月8日、月曜、曇り。終日曇りだが降雨はなし。涼しくて過ごしやすい。今週はこんな感じの天候らしい。先月から詰めの段階に入っていた仕事が、プレゼンを経て、決まった。競合他社がしくじったという幸運があったとはいえ、あっさり。振り返れば決まるときはあっさり決まることが多いような気がする。一方、記憶と印象に残るのは苦労した案件の方で、自分の糧になっているのもそちらの方なのは間違いない。とはいえ契約が取れるのは営業としては最大の喜びなので素直に喜んでおく。

珍しく7時間ほど眠ってしまったのだが、頭がすっきりするかと思いきや、終日、眠気との戦いであった。普段の睡眠時間が4時間くらいなので、7時間は僕には合わないのだろう。とはいえ4時間睡眠だと体がダルいのも事実なので、自分にあった睡眠時間を見つけたいところ。

ふと、子供の頃を思い出した(最近昔のことをよく思い出す。死期が近づいているのかもしれない)。スエヒロというステーキ・レストランが30年以上前、夏シーズンにやっていたカウボーイスクールという企画だ。昭和60年、小学6年生のとき、友人3人と参加したのだ。新宿発のチャーターバスに乗って朝霧高原の牧場で3泊4日だった(はず)。いろいろな地方から来た小中学生が何十人かいて、即席のグループを作って共同生活をするのである。昼は謎のカウボーイに乗馬を教わった。あのときグループのリーダー役だった中学生とはあの夏の日だけの付き合いになってしまったけれど、若者らしいイキり方をしていた彼も、今は50近くのオッサンになっていて、中学生よりも大きい子供の親になっているのかもしれないな、となんとなく思った。それだけ。

七夕よりタナボタがいい(2019年7月7日)

7月7日、日曜、曇り。はっきりしない天気。肌寒い日が続いている。昨日からの懸念事項であったゴミ問題だが、午後、管理会社の手配した業者が対処してくれたので一安心…と言いたいところだが朝に生ゴミ(追加)がぐちゃぐちゃな状態で捨てられていたのでこれからも続きそうだ。犯人は目星がついているけれど(目撃したから)、僕に出来ることはないので、関係各位でうまく対処していただければいい。

僕はSpotifyで音楽を聞くことが多いが、CD信者である家族のために、CDコンポを購入した。パナソニック製。家事をするときにお気に入りのCDを繰り返し再生するそうである。コンポを買うのは久しぶりで、量販店の売り場面積は悲しくなってしまうほど縮小されているけれども、ニッチなニーズは確実にあるだろうから、細々と生き残っていくのだろうね。

先日納品した原稿の返しを待っている。修正や指摘をガンガン入れてもらって、より良いものになればいい。ときどき僕はそういう書き方をしない人間だけどな…と思う指摘もあるけれど、そういうときは指摘そのまま修正するのではなくて、変化をつけて返すようにしている。指摘が入るというのは、何か問題があると考えて間違いない。それにどう対処するかで個性が出るのだろう。

ゴミ出しのルールを守りましょうね(2019年7月6日)

7月6日、土曜、曇り。休日なので朝から散歩へ行ったら、指定されているゴミ捨て場所に大量の缶ゴミが捨てられているのを見つけてしまった。大きなビニル袋に入った状態。計8個。資源ゴミの日ではない。マンションを管理している会社へ連絡したら、すでに別の住民から連絡が入っていた。ボリュームがボリュームなので、第三者が車で持ち込んだか、住民の誰かが出していったものと予想。最近、燃えるゴミがぐちゃぐちゃになった状態で捨てられていたり、ゴミの問題がときどき見られるようになってきた。住んでいる人間は変わらないはずなのにな。缶ゴミについては、日曜日に業者が撤去してくれるらしいので一安心だ。夕食は、街はずれにある焼肉食べ放題の店で済ませた。思っていたよりもクオリティが高いお肉だったように思える。シニア価格が細かく設定されているのは現代的。

選挙が近いせいか、いろいろな話を耳にするようになったが、「タレント議員を擁立する政党がまだあるのだなあ」という感想。タレントの知名度とイメージを利用する手法は僕が子供の頃からある方法で、とりたてて斬新なわけではないし(むしろ陳腐では?)、そのタレントさん自身が何をやりたいのか曖昧なことが多く、また選挙後の存在感がゴシップをにぎわす程度の人もちらほら見受けられるので、どうなのかな?というのが僕の感想。もっともこういう先入観を裏切って活動していただけたらそれでいいわけだけどさ。

突っ走るためには寝ないとね。(2019年7月5日)

7月5日、金曜、雨。午前中から昼食をはさんで午後三時まで会議をいくつかこなした一日。管理職になって数少ないイヤなことが会議だ。正確な由来は知らないけれど、会って議論するから会議なのではないか。だとしたら、ただの報告会になってしまっている会議がまだまだある、というのが僕の実感。自分の部署ではテーマを明らかにして事前の準備をするように口を酸っぱくして言い、報告会にならないようにしている。報告会化した会議は眠いからつらいんだよね。

久しぶりにポリスのライブ盤を聴いた。Police Live 演奏はめちゃくちゃうまいけれど、初期の方のライブはドラムが走りまくってて面白い。これ運転中に聞くとスピードを出してしまいそうだ。ちょっと前に10年くらい前来日したときの動画を見たけれど、あいかわらずクソうまくてビビッた(さすがに走りまくるような演奏ではなくなっていた)。疲れているので早く布団に入った(22時前)。家族謎ルールで15日までエアコンをオンしないことになっているので、涼しい夜を逃さず、寝なければならぬ。

 

 

ペイで平謝りしていた(2019年7月4日)

7月4日、木曜、雨。ぐずぐずしたはっきりしない天気。僕の生活圏ではそれほど雨量は多くない。それでいて水不足になったこともない。水については恵まれている環境(最近、凶悪犯罪が頻発しているけど)。特に何もない、平穏な一日。いつもと違うといえば、久しぶりに仕事が終わった後、同僚たちと酒を飲んだ。大きな契約が決まったので祝勝会である。決定後に課題や詰めなければならない点はいくつが出てきたが、想定の範囲内。管理職としては今期の見通しがかなり明るくなって良かった。例によって生ビールばかり飲んでしまって普段のダイエットを台無しにするパターン。まあ、タマにはいいでしょう。

コンビニのスマホ決済サービスで問題が発生し、社長が会見を開いていた。彼は(おそらく)技術畑出身者ではないので、技術面の話は担当者に任せて、マネジメントの話だけをすればよかった。あの会見では「おいおい大丈夫かよ」という不安を煽っただけではないかな。そもそも決済サービススタートと同時に多くの人が登録しているのが不思議だ。直接お金にかかわることなので、少し様子を見てから登録した方がよろしいのではないかと(個人的な見解)。利便性とリスクを天秤にかけて判断することが大事であって、僕は後者に重きを置いているだけ。

旬が過ぎるということ(2019年7月3日)

7月3日、水曜、晴れ。本日も雨。九州地方では、豪雨が続いている。西日本豪雨以上の降雨量らしい。被害が起こる前に、警戒を呼び掛けているのは、いい傾向というのは前の日記に書いたかな、本当にそう思う。「わーものすごい雨です!」「家が燃えてます!」という強い絵が撮れるだけの現地レポに比べたらずっと意味があるだろう。あとはもう少し天気予報の精度があがればいいのだけれど。任天堂スイッチを家族に差し押さえられてしまったので、仕方なくプレステのディアブロ3を再始動したら、ハマってしまった。グレーターリフト40まで一気にやってしまった。時間が溶けていくようで恐ろしい。マジで暇つぶしになるのでオススメです。今買うならスイッチ版の方がコンテンツが全部入っているからいいかな。 

そういえばウェブメディアの書き仕事で、3月末に納品したものがあって、随分時間が経ってから「5月連休明けにレスします」というメールをいただいてからまもなく2ヵ月になろうとしているものがある(計3ヵ月超)。忙しいのだろうと推測。ただ、連絡がないというのは想定外。ボツならボツでいい。イカすにしても旬ではなくなっている内容なので全面リライトは避けられないだろうね。

命を守る行動を(2019年7月2日)

7月2日、火曜、雨。はっきりしない天気が続いている。午前中は資料作成、午後はプレゼンを行った。反応は上々。結果は…来月になるかな。九州地方を中心に、猛烈な雨が予想されていて、気象庁が警戒を呼び掛けている。危険度があがると「命を守る行動」が呼び掛けられる。それでも避難をしない人たちが数多くいるのだから、人間というのは、災害をテレビで見てもしょせんは他人事なのだろう。かといって自分が迅速に避難行動をするかといえば、そのときにならないとわからない。命を守る行動は現実世界のものだけではなく、最近はネットのものでもあるので、ここ数か月の周辺の様子から判断して自分なりのネット・ルールを見直した。具体的にはツイッターのブロック機能積極的活用と本ブログの更新停止。ブログは、不愉快な思いをしてまでやるものではないので、仕方ないのかな、と。まあ、毎年夏は更新頻度が落ちているので例年通りといえばそのとおりなのだけど。老後2000万円不足問題の話題でもちきりである。その金額が多いのか少ないのかは人それぞれだけど、そんなものだろうな、というのが僕の感想。たとえば国民年金なら、1万数千円の国民年金保険料を支払っているだけで、老後の生活費が安泰になるという考えが少々楽観的すぎやしないか、と20年前に社労士試験を受けたときに思った。政治家や官僚といった人たちは、年金(頼みの)暮らしからは遠い生活をする人たちである。その人たちが、生活費の多くが年金頼みの人たちの生活を、我が事として考えられるわけがない、というのは意地悪すぎる見方だろうか。この問題は、老後2000万円足りない!という危機感を国民に持たせたという意味で価値はあったと思う。あと一部政治家や評論家の人たちが、選挙対策なのか知らないけど、年金を積み立て金のように語っているのを見かけるけれど、それはミスリードなので聞く耳を持つ必要はないかと。未来の自分の命を守る行動を考えるのも大事、ということ。