1分日記

フミコフミオが数分で書いた日記を1週間後にアップするブログです。午前8時更新。不定休。

「夏の日の1993」という流行歌がありましたね(2019年7月1日)

7月1日、月曜、雨。2019年も半分が終了。今日から7月!と思っていた朝に電話が鳴ってそこそこ大きな契約が3件決まった。うち1件は、前職のときに付き合いがあった法人の仕事で、こちらからセールスをかけたわけでもなく、僕の所属先を調べてこられたものなので、まとまって良かった。僕くらいの中年になるとガチガチのリレイションで仕事が取れることもあるのです(偉そう)。

書き仕事の〆切があって、中断していた「ドラゴンズドグマ:ダークアリズン」

ドラゴンズドグマ:ダークアリズン -Switch

を再開した(正確にはもう一度最初から始めた)。移動がダルいけど、戦闘はスカイリムより面白いというのが僕の評価。あとスイッチの携帯モードは目が疲れる。あといつも思うけど、オープンワールドゲームのキャラはなぜ地味なのだろう?醜い現実をそのまま持ち込まなくてもいいのではないかと思う。それ以外は、同僚の親族が正面衝突事故を起こした(無傷)とか、インターネット上の些細ないざござとかいつもと同じようなどうでもいい出来事ばかりで、特に印象に残ることのない1日であった。どうでもいいことを切り捨てていくことが人生を豊かにするんじゃないかと思います。では。

もはや日記ではない。(2019年6月21日~30日)

6月30日、日曜、雨。予報では午前中は大雨だったはずような気がするが、午前中はパラパラ降る程度で午後からが本降り。週末は朝の通勤時間が大雨になるとの予報であったが、傘をささずに済んでしまった。天気予報はそれだけ難しいということ。仕事の方も、予想外の受注や問い合わせがあいついで忙しかった。一週間の間に、東北地方2回と中京地方1回、日帰り出張3回もしたので疲れてしまった。飛行機は楽であるが、自覚がないだけで体に負荷がかかっているのかもしれない。

仕事だけではなく、出張の合間に、Hagex氏を偲んで大川竜弥氏と飲んだり、今月で更新終了のぐるなび、みんなのごはんの打ち上げパーティーに出席したりと慌ただしい毎日を送っていた。ぐるなびのパーティーでは、こういうところに姿を出すのですか!と驚かれた。公の場所に顔を出さない自分ルールは変えていないけれど、5年間お世話になったので担当の皆さんに直接、お礼を言いたかったのだ。今後も顔を出さないスタンスは変わらないので誤解のないようにお願いします。

書き仕事の第一稿の納期も重なっていて、実は、一か月も前にほぼ書き終えていたのだけれど、あらためて読み直すと、うげー、これ本当に自分が書いたの?という文章。仕事を終えて帰宅してから寝るまでの時間であーでもないこーでもないと体裁を整えるのに悪戦苦闘してしまった。拙文ではあるが、手を抜いてはいないので、そのあたりを汲んでいただけると嬉しい(編集者様向けの伝言)。

SNSの使い方について考える時間が多い(というか出張中の移動時間に3分ほど考える時間があった)のだけれど、相手にまともに取り合ってもらっていないのに、絡み続ける人は、哀れというか心配になってしまう。メールやメッセージとは異なり、第三者からみられているのにネガティブな感じで絡んでいるのは、あ、こいつやべえ、と思われるだけで無意味だと思うのだけれど。よほど、時間と金に余裕があるのだろうね。これらの余裕を、寄付やボランティアに差し向けたら世の役に立つのに…残念だなあ。

来週も慌ただしくなりそうだ。心のささえであるヤクルトスワローズがもう少し頑張ってくれたらなあ…。せめて自力優勝可能ゾーンまで…。

逃走論2019(2019年6月20日)

6月20日、木曜、晴れ。スカっとして気持ちのいい陽気である。天気予報では天候は不安定といっていたが、少なくとも僕の生活圏(神奈川県某所)は終日、安定のピーカンであった。書き仕事の〆切が迫っているため、過去に書いた文章の手直しをしている。書くより直す方が時間がかかっている。体感では3~4倍の時間がかかっている。文章の一部が気に入らなくて手を入れると全体のバランスがおかしくなって、ここもあそこもというように修正していくことになり、それが文章の頭から尻まで一貫した方向での作業なら短時間で終わるのだが、文章を前後左右に見ながらの作業なのでどうしても時間がかかってしまうのである。ブログのように、一筆書きの要領で一気に書ければ楽なのだが。神奈川県の厚木エリアで刃物を持った受刑者が逃走しているため、近隣の保育園や小中学校がお休みになっている。容疑段階で「俺は捕まりたくない」と逃亡するのなら理解できる。やっていない犯罪を疑われた主人公が警察の包囲網をかいくぐりながら、真犯人を探し出すというストーリーは創作物でよくあるパターンである。だが、裁判を終えて受刑が確定してから逃亡しても、受刑が取りやめになることはおろか、むしろ「刃物をもって暴れて逃亡するとはなんて凶悪な人間なのだろう。もっと刑を重くするべきであった」という印象を持たれるだけであり、ご本人にとってマイナスにしかならないのではないかな。まあ、逃走している受刑者の人生などより、事態の地域への周知が遅れた方がずっと深刻である。

SNS疲れを感じたことがない(2019年6月19日)

6月19日、水曜、晴れ。営業車の気温計は30度超を記録していた。もう真夏ですな。梅雨のわりに湿度がないので気持ちが良くていい。久しぶりに同僚と飲みに行った。特に盛り上がる話もなく、食事の延長、という感じであった。SNS疲れという話題になった。他人から見られていること、自分から発信することに疲れてしまうらしい。疲れるくらいならヤメればいいのに、とは言わなかった。言ったってヤメないのはわかっているからだ。「今の時代、SNSをヤメるという選択はないっすよ」と言い返されるのが関の山。僕自身もツイッターフェイスブックをやっているけれど、疲れを感じたことはない。実際に会うこともないであろう他人を気にしても他人から気にされてもどうでもいいと考えているので、疲れやストレスを感じようがないのだ。ときどき、会ったことも話したこともない人から、怨念めいた絡みをされることもあるけれども、会ったことのない人間に暗い情熱を持ち続けられることに興味はあるものの、特に気にしない。ツイッターにはブロックという遮断機能がついているが、それを使う気分にもならない。厳しい言いかたをするなら、ブロックする価値もない、ということになるのかな。

通院と痛飲(2019年6月17日と先週末)

6月17日、月曜、晴れ。週末の寒さとはうって変わって真夏の陽射し。気温差がカラダへ負荷をかけているのか、気になるお年頃である。先週末は、病院で診察と検査を受けてきた。詳細は省くけれど、少々よくない、といったところ。時間をかけて取り組むしかない。本日はいい商談が出来て良かった。どちらかというと小規模なビジネスになるが、これまでやったことのないジャンルなので、ちょうどいい。問題がなければ、詳細をつめて成約になる運び。夏前にはいけるかな、とこれは希望的観測。毎年暑くなってくるとブログ熱が冷めてくる。本ブログの過去をみれば一目瞭然で、あきらかに更新頻度が低くなっているし、休業を宣言して何か月が更新を停めたこともある。それくらいの熱がちょうどいいと思う。事実、こういうスタンスがあったから、20年もやってこられたわけだからね。SNS(ツイッター)は、完全に時間のムダ、という認識。人間の怨念と憶測ばかりで毒される。アレは休み時間にチラ見する程度でいいんじゃないでしょうか。ゼルダの続編が出るらしいので、こちらもゲットしたいところ。 

 

 

「忙しい」ばかり言っている人は学習をしないのだろうか(2019年6月11~13日)

6月11日、12日、13日。火曜~木曜。梅雨らしくはっきりしない天気。「毎日書くぞ」とイキって始めたこのブログもこの体たらく。これから次第に更新頻度が落ちていき、最後は「最終更新のお知らせ」というつまらない記事を書いて終わるのだろう。実は管理職なのでスタッフの労務管理と目標管理が主たる仕事である。なので、手の空いているスタッフに仕事をフルわけだけれども、ときどき、忙しさを理由に仕事を忘れてしまう人間がいて驚いてしまう。暇そうだから仕事をふったつもりなのに、実は忙しかったとは…自分の見る目の無さを嘆くばかりである。僕からすると、仕事が忘れるほどの忙しさにあるとは見えないのだが、人間には与えられたレベルがあるということと無理矢理納得している。まあ、忙しいから仕事が追い付かなくなることはあっても、忘れるというのはちょっと理解しがたいのだけども。そういえば新卒で入った会社で「忙しいというヤツは自分に能力がないと言っているのと一緒」と仰る先輩がいた。ああ、そういうマッチョな意見もあるのだなあ、と感動したものだが、その人自身が、忙しくて心身を壊して休職したのはなんだったのだろう、と今でも不思議に思っている。約束している書き仕事で、数か月前に書いた自分の文章を手直ししている。時間を置くと自分が書いたものに見えないから面白い。現在の自分で過去の自分を改ざんしているような気分だ。〆切に間に合わなかったら、僕も忙しさを理由にするのだろうか。なるべくそうしたくはないなあ。

長袖シャツを片づけると寒くなるの法則(2019年6月10日)

6月10日、月曜、雨。終日雨。朝からの雨は夕方には激しい雨に変わった。先週金曜日は半休を取って、神宮で野球観戦の予定だったが、降雨で試合前中止が決まった。スワローズ主催試合では今シーズン初だそうで、いよいよ梅雨本番である。週末は墓参りや買い物で終わってしまった。今日は仕事中に年上の部下の人から「部長も御存知だと思いますが、予備校はお金がかかるんですよ」と言われたので、素直に「予備校に通った経験がないのでわかりません」と答えたら驚かれてしまった。僕と予備校の関係は大学入試の模擬試験しかないので、よく知らないのだ。だいたい「お金がかかる」とカミングアウトする相手が間違っている。そういった話は、銀行やサラ金にする話でしょう。それとも僕に金を貸してほしいという話なのだろうか。僕は、お金を増やす人には貸すけどつかう人には貸さない主義なので、土下座をされても貸すつもりはない。申し訳ない。ツイッターを眺めていると、己のつぶやきがたくさんリツイートされたりファボされたりすることに喜びを覚える人が観測できて面白い。面白くて、機転のきいたつぶやきが拡散される傾向があるみたいだ。意地悪な受け取り方をするならば、それらは誰にでもわかりやすく受け入れやすい、平凡で、しょうもないつぶやきということでもある。誰にでも通じる話というのは、それほど面白いものではないような気がしてならない。ってこれは僕個人の意見なので、面白いと感じる人はそれでいいと思います。ただ、さきほどの予備校の話のように、内容のある話というのは、話すべき対象に向けておこなうべきじゃないのかね。そうでなければ、ただの暇つぶしか時間の無駄でしょうな。