1分日記

フミコフミオが数分で書いた日記を1週間後にアップするブログです。午前8時更新。不定休。

2022年1月3日「うる星やつら」が始まるってよ。

1月3日、月曜、晴れ。正月休みである。箱根駅伝を観た。選手たちの表情をアップでとらえるほうが、ドラマチックな絵になるのはわかるけれども、もう少し、レース全体がわかるような中継にしてもらいたい。たとえば10区でシード権争いが白熱しているという情報があるのに、11位のチームが10位のチームを10区残り1キロで抜き去ってスパートをかける画がないのは致命的に思えた。正月だからという意味のわからない理屈によって、洋服屋に連れていかれて、年始バーゲンで安いからという理由によって、コートを買わされた。僕も欲しいものがあったら買ってよいといわれたが、思いついたものはゲームソフト、プラモデル、鉄道模型といった奥様からみれば不要不急のものであり、反対されるのが目に見えているので辞退しておいた。ロシアとウクライナレベルの緊張感が我が家にはいつもあるのだ。夕方からテレビを観ながらスマホツイッターやインスタグラムを眺めていたのだが、ずいぶんとつまらない場所になった。かつてのインターネットは自分の好きなものを推す場所であったが、最近は好きなものではなく人にウケるものの品評会になっていて、面白くない(ユーチューバーにも同じことが言える)。ブログはまだ、好きなものを推す感が残っているので、それが、僕の人のブログを読み続けている理由のひとつである。

ツイッターの人気アカウントのいくつかには教訓的なものを垂れ流すものがある。あれを眺めてリツイートやイイねを付けていることな意味はないことに気付いてほしいものだ。心にとめておく教訓的なものは少ないほうがいいし、出来ることなら他人がつくったものではなく、自分で編み出したものにするべき。人から得た情報を覚えることが学びだと誤解している人が多いのと同じ構図なのかな。自分の頭で考えて自分なりの理屈でもって結論を導きだすことを自分なりに体系化して今より明日を楽に生きられるようにしていくことが学びだと僕は思う。あと、『うる星やつら』の36年ぶりのアニメ化は楽しみであるということである。『うる星』のアニメはめぞん一刻の完結編と二本立てだった映画を劇場で鑑賞して以来になる。1988年のこと。まだ中学生であった。48才になる年に『うる星』を観られるなんて、不思議な感覚だが、今の若い世代に80年代カルチャーの代表(と僕は捉えている)である『うる星』がどうみられるのか興味深い。個人的には原作冒頭の、ラムがゲストキャラ扱いだった、まだ設定が落ち着かないあたりを初アニメ化してもらえたら嬉しい。