1分日記

フミコフミオが数分で書いた日記を1週間後にアップするブログです。午前8時更新。不定休。

負け続ける人生はない。(2019年5月30日~6月2日)

5月30日、木曜、晴れ。約束を相手が忘れてしまい、往復2時間半の時間が無駄になった。相手が来るのを待つことも考えたが、次の予定があったので、帰還。来週以降に再調整することにした。

5月31日、金曜、曇り。思わぬところから仕事がやってきた。ラッキー。祝杯というわけではないが同僚と飲みに行った。少々飲みすぎてしまって、帰宅後、地鳴りのようないびきをかき奥様にすげえ叱られてしまった。好きでいびきをかいているのではないのだが。

6月1日、土曜、晴れ。病院の検査にいった。アレルギーとかその他もろもろ。ちょうど耳鼻咽喉科だったので、タイムリー!と思いいびきについての相談をしたら、鼻の骨が曲がっていることが発覚。それがいびきの一因かもしれないとのこと。鼻をケガしたことはないので45年間曲がった鼻で生きてきてしまったのか。そういえばヤクルトスワローズが16連敗した。僕が生まれる前に誕生したセ・リーグ記録に並んだとのこと。貴重なものを見させていただいた、とプラスにとらえる。

6月2日、日曜、晴れ。家族の体調不良と僕の鼻曲がりのために、まったりと自宅で過ごした。めでたいことにヤクルトスワローズが連敗を止めた。新記録をつくることの難しさを思い知らされる。川崎の例の事件の続報が入ってきているが、容疑者が亡くなっているうえ、人間関係が希薄な人物であったので動機の解明は困難だろう。「『死ぬなら一人で死ね』が類似の事件を起こす可能性がある」という言説の理屈が少々苦しいように思えてきた。書き仕事をやって寝る。

相反する意見があっていい(2019年5月29日)

5月29日、水曜、曇り。今週にはいってから契約がまとまりそうな話が集中して出てきている。来月、忙しくなるの確定。書き仕事の方も〆切一カ月前に終わらせた。一週間ほど時間を置いたら直して(ちょっと読み返したらヒドかった)、来月中旬に編集担当さんにご連絡という流れ。多分前倒しになるけど。

川崎登戸の殺傷事件。「死ぬなら一人で死ね」というフレーズがSNSで見られた一方で、そういうのは模倣や追従が起こるから言わない方がいいという意見もあって、興味深い。「一人で死ね」というのは感情からの言葉で、そうでも言っておかないと気が済まねえ、という事件のやりきりなさへの表明にすぎない。それに対し、「そういうのはどうなの?」というのは理性からの意見。つまり土俵が違うので議論にするのは難しいだろうな、というこれは僕の感想。ツイッターで「引きこもり(閉じこもり)と犯罪は関係ないですよね」というご意見をいただいたが、当該事件では川崎市が被疑者の引きこもり状態をある程度把握している事実があるので、無関係と断定するほうがいささか乱暴な気がする。というこれは僕の意見。別に自分の考えが絶対に正しいと思っているわけでもないので、異なる意見があったも、よくそんな幼稚な考え方はできるなあと感心することこそあれ、否定しようとは思わない。わかりあえなくたっていいし、気持ちをシェアする必要もないし。そんな感じ。

殺意を育ててる。(2019年5月28日)

5月28日、火曜、曇りのち雨。夜からの雨と予報されていたが、昼過ぎには降り始めた。半休と取って神宮へ野球観戦。11連敗中のスワローズ、応援の甲斐あってめでたく12連敗を記録した。投手陣と守備が壊滅的なのでしばらくは低空飛行が続くと思われる。川崎市登戸で大きな事件があった。容疑者が自殺してしまったので、動機はわからないが、ネットでは「無敵の人」と呼ばれていた。失うもののない人という意味のスラングである。僕にも長年ひきこもっている友人がいる(社会復帰したがうまくいっていないらしい)。もし、彼が無敵の人になっていても気が付きようがないと思った。また、僕の別の元知人が無敵の人になっているかもしれない。もしかしたら僕らの無関心が彼らの殺意を育てているのかもしれない、そんなことを思った。

(2019年5月27日)

5月27日、月曜、快晴。仕事では特別なことはなかった。18時定時きっちりに退勤。昨日の日記に書いたとおりこの春に納品したエッセイがアップされた。働くことについての文章だ。ともに僕の悪文と戦ってくれた編集担当には感謝申し上げる。

www.recruitjobs.co.jp

第一稿を収めてから時間が経っているのであらためて読んでみたら新鮮だった。自分の文章なのにね。読んでいただけたら嬉しい。明日も連載がアップされる予定。もう一篇草稿をおさめてから動いていない仕事があるのだけれど、そろそろ動かしたいものだ。最近寝る前には古いテクノのアルバムを聴いている。お気に入りはCJボーランドの「ザ・4thサイン」。これリリースされたとき全然気に入らないアルバムだったのだけど、年々好きになっている。音の処理とかちょっと古いんだけど、そこがいいのよ。ああ、そうだ。週末にアレルギーの検査を受けることが決まった。来月は目まいと吐き気関連の検査も受ける予定。

トランプ土俵に立つ(2019年5月26日)

5月26日、日曜、晴れ。快晴。北海道で39度を記録したそうだ。数か月前と比べたら50度くらい上がっているのではないか。身体への負荷は相当のものだろう。僕が暮らしているエリアも30度超えをしたようだが、体感的にはそれほど暑さは感じていない。湿度がないからだろう。トランプ米国大統領が来日。どこかのバカがツイッター国技館でのブーイングを扇動していた。何の意味があるのだろうか、よくわからない。

   ツイッターはよくわからない言動をする人がいる。利害関係のない人が何をしていていようが関係ないと思うけれど、言及クセのある人は「我がことのように」言及している。きっと暇なのだろう。ツイッターに関しては、どんなに否定的なことを言われてもブロックはしないように運用してきたのだけれど、2ヵ月ほど前から、その方針を少々変更して、ミュート機能は活用している。申し訳ないが数名ほどミュートはさせていただいた。否定的なことを言ってくる人はミュート対象ではない。対象にしたのは、僕の言論の自由を否定するようなことを言っている方。あえて厳しい表現をするなら、どうしようもな人。なので、このブログを読んでいる人はおそらく該当していないはずである。「白い巨塔」の最終回を観た(家族が観ていたから)。ザイゼン先生は2019年版でもお亡くなりになられていた。そういえば以前ザイゼン先生を演じていた田宮二郎さんの亡くなられた年齢をネットで調べたら43才であった。すでに僕は超えていた。そんな、人生の後半戦を実感した日曜日の夜。

何でも言ってみるという傾向(2019年5月24~25日)

5月24日、金曜、快晴。仕事を終えたあと、横浜で待ち合わせをして人と会った。リタイア済みの仕事の先輩である。年金をもらいながらアルバイトをしている。彼と会うのは、1年ぶりだ。会うなり「キミのところ、子供は?」と訊かれた。1年前も同じ質問を受けたはずだ。当時と同じように「いません」と答えた。悪気がないと理解しているが、少々、頭はよくないのかなと同情する。SNSで顕著だけど、なんでも発言できるけれど、その発言に意味があるのかもう少し考えた方がいいだろう。SNSが発達して言及という行為が一般的になった。誰でも何でも言える。言えてしまうからこそ、言う言わないの判断が求められている。僕も言及されることがあるけれど、まあそういう意見もあるよな、という感想を持つだけである。白黒つけようとする人には短絡的な傾向があるので深く関わらないが吉。

 

5月25日、土曜、快晴。暑すぎる。真夏日という言葉をこの時季に耳にするようになるとは、本日から来日される米国大統領がこの日本の暑さを体験して環境問題に興味をもっていただけたらいい。マンションのゴミが指定日以外に出されていて、それをカラスがまき散らした惨状をみてウチの家族が激怒していた。ゴミを指定日外に出した不届き者に対しての怒りなのか、カラスの食い散らかしに対しての怒りなのか、ちょっとわからない。不動産屋に掛け合って、カラス問題を約束させる行動力は見習いたい。家族が「白い巨塔」を視聴していたので付き合って観た。原作も読んでいるし、何回も映像化されているので、驚きや新鮮さは皆無だ。それより唐沢寿明さん主演バージョンから15年も経っていることに驚いてしまった。今回の主演はV6の岡田君だけども財前先生にしてはサイズが小さいような気がしてならないけど、あくまでそれは僕の財前イメージなので気にしないでよろしい。最後に来週は僕が寄稿した文章が2つほど公開される予定なので、よろしければチェックしてください。と業務連絡で〆。

怒りたいのか謝らせたいのか(2019年5月23日)

5月23日、木曜、晴れ。暑いが湿度が低いので爽快な一日であった。仕事は概ね順調。書き仕事も順調。最近はエッセイばかり書いているので、小説を書きたくなってきたので、関係各位、よろしくお願いします(誰に?)。帰宅するなり奥様に叱られた。たいへんな立腹のしようであった。激怒といっていい。原因は、僕が外出する際にトイレの電気を落とし忘れたため。まあ、忘れることもあるだろうね。人間だもの。すげえ怒っておられて、電気代として数千円払え、などと主張している。頭にブラッドがのぼっておかしくなっているので、謝ると、なにその謝り方は!と謝り方に激怒している。それならつって、どんな謝り方なら納得するのか教えをこくと、そのスタンスが気に入らないと怒りの炎はおさまらないのである。謝罪を求める人のうちいくらかは、謝罪すると謝罪の方法がよくないと文句をいってくるパターンである。納得できる謝罪の方法がご自分のなかで定まっていないのである。いつも言っているけれども、人間とは基本的に自分の望む話しか聞かない生物なのである。僕はわりと冷静なタイプなのでそのことも気に入らないのだろうね。「なんで私が怒っているのに、キミは普通でいられるのよー!」って知らんがな。そんな一日であった。夏が近いね。飛んで火に入る夏の虫にならないようにしなくては。